連載・特集

2021.1.15みすず野

 テレビの追悼歌番組を見ながらこの人は、阿久悠と並び称される昭和の歌謡曲を彩った、大作詞家にまちがいない、とあらためて思った。直木賞作家でもあった、なかにし礼さん。昨年暮れ、82年の生涯を閉じられた◆敗戦による満州(現中国東北部)からの逃避行、54歳のときの心臓発作、70代でのがん闘病、何回も死の淵に立ちながら生還し、4000曲もの作詞を手がけ、「北酒場」などで日本レコード大賞を3度受賞した。弘田三枝子が歌ってヒットした「人形の家」。「愛されて捨てられて忘れられた」人形は、祖国日本に捨てられたなかにし少年であり、引き揚げ体験に基づく◆「僕の書く詞は、あの時代への恨み節、満州への望郷歌でもある」。新婚旅行で下田のホテルに泊まるが、偶然石原裕次郎が映画ロケで訪れており、バーに暇つぶしに手招きされ、訳詞を仕事にしていると話すと、「はやり歌を書きなよ」と言われた。作詞を始めるきっかけとなった◆北島三郎さんの「まつり」を作詞家人生の到達点とし、作家に転じた。裕次郎の最後の歌「わが人生に悔いなし」に、晩年のなかにしさん、自身も重ねていたのでは。