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日中戦争で戦死した叔父悼む記録発見 入山辺の大輪文博さん宅で

日中戦争の初期に戦死した厚美さんの資料を広げる大輪さん(左)と大島さん

 松本市入山辺の大輪文博さん(67)宅で、日中戦争勃発から4カ月後の昭和12(1937)年11月に中国大陸で21歳の若さで戦死した叔父・厚美さんの最期の様子を詳しく記した記録が見つかった。旧陸軍の公式通知に加えて戦友がつづった記録もある。厚美さんは同年12月に旧入山辺村が実施した村葬の最初の戦没者とみられ、後に太平洋戦争へ進む前の地域による戦没者追悼の姿をうかがえる貴重な資料だ。

 大輪さんが昨冬に物置だった古い蚕室を解体した際、祖母・あさ江さん(故人)のタンスから見つかった。「忠魂」と手書きされた原稿用紙約30枚を束ねた冊子は、南佐久郡栄村(現佐久穂町)の戦友・三井玉男さんが厚美さんをしのび、中国にいた厚美さんが亡くなる前日と当日の様子や最期の戦闘の様子をつづっている。
 頭部に被弾した厚美さんについて、陸軍公式記録には「残念だ」と一言残して亡くなったとあるが、三井さんの冊子では衛生兵と戦友に見守られつつ武器をしっかり握ったまま静かに亡くなった様子が詳しく記されている。
 地元の歴史に詳しい大島正人さん(93)は、旧入山辺小学校の児童として村葬に立ち合った記憶があり、同校の記録でも2人の戦没者のうち1人の名字と厚美さんが合致するという。「村葬は計10回あり、戦死者も徐々に増えた。まだ『遠く離れた地での戦争』という意識が住民の間にあった戦争初期の戦没者の記録として貴重」と注目する。
 大輪さんは、8人きょうだいの長男だった厚美さんについて「家族からは『とても温厚で家族を大事にした』という話しか聞かなかった」と振り返り「叔父の人柄に初めて触れた思い。家族と地域の記録を大事に守り残したい」と願っていた。

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