地域の話題

山形村の米作りの逸話、後世に 黒川堰の歴史伝える看板設置

追平隧道の内部。下流出口付近は石組みのアーチ型になっており、文化財としての価値もある

 山形村などでの米作りを巡る先人の努力を伝え、堰にある隧道(トンネル)の文化財としての価値も広く知ってもらいたいと、黒川堰土地改良区(事務局・山形村)は、最も難所とされた追平隧道(松本市波田)を紹介する看板を設置した。子供たちの郷土教育にも活用できるよう、漢字に仮名を振り、歴史などを分かりやすく紹介している。先人の苦労を知ることで、お米を食べられることのありがたさをあらためて感じてほしいとの願いを込めて看板を作った。

 黒川堰土地改良区の上條重幸理事長(72)ら8人が4日に追平隧道まで山道を登り、看板を設置した。併せて道中の枝を払い、水路にたまった泥などを取り除いた。
 看板では、追平隧道が黒川堰に14カ所ある隧道の中で最も難所と言われていたことや、下流出口の上にある追平小屋では当時、水の管理のため管理人が寝泊まりしていたことなどを紹介している。石組みのアーチ型になっている下流出口付近など、文化財としても価値がある内部の写真も載せている。
 黒川堰は明治26(1893)年に通水した。難工事だったが長い期間をかけて成し遂げ、延長12キロの水路を完成させた。昭和46年(1971)年に、中信平農業水利事業により梓川に水源を替えるまで、長年にわたり地域の米作りを支えてきた。
 追平隧道までは山道を15分ほど登るが、小学生でも歩けるようになっている。上條理事長は「田んぼを作るための先人の努力を、子供たちに知ってもらいたい。地域の歴史を伝えていきたい」と話していた。