連載・特集

2020.8.11 みすず野

 北アルプス槍ケ岳、穂高連峰に登った登山者は、槍沢もしくは横尾谷を下って上高地に出る。上高地から車で下山するのがふつうだが、わざわざ徳本峠を目指し、峠を越えて島々谷川に沿って下り、旧安曇村役場下の国道158号に至り、さらに私鉄上高地線島々駅まで歩く人もまれにいた◆道のりは実に長い。若者の強靱な足でも、夜明けから夕刻まで歩き続けなければならない。昭和期の大学山岳部などはあえてこの苦行を選んだ。真っ黒に日焼けしたひげ面が隊列を組み、キスリングを肩に食い込ませながら、黙々と歩を進める姿が見られた◆それだけに、島々駅の山小屋風の駅舎が見えたときの喜びは大きく、おんぼろ駅舎が天国の駅に映った、と年配者に伺った記憶がある。その駅舎は現在、上高地線新島々駅の国道をはさんで正面に、移築復元されている。農産物直売所としてにぎわっていたが、いまは閉じられて、中には入れない◆夏山シーズンの最盛期を迎え、槍、穂高を目指す登山者でごった返しているはずの周辺に、登山者の姿はほぼ皆無。コロナ禍である。何たることだろう。山は呼んでいるのに、人は応えられない。

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