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奉職56年、市政の「生き字引」 松本の坪田副市長が退任

インタビューに答える坪田副市長
 松本市の坪田明男副市長(79)が27日、菅谷昭市長の任期満了に合わせて退職する。市職員時代から56年、歴代市長5人に仕えた市政の「生き字引」だ。退職を前に市民タイムスのインタビューに応じ、今の心境や思い出などを語った。
 ―今の心境は。  終止符を打つ感慨が大きい。健康第一で、よくぞここまで働いた。菅谷市長の補佐役として、松本城南・西外堀の復元や再選定になった病院用地は十分できず、次世代交通LRTなどの議論が広まらなかったのは力不足だ。  ―有賀市政から転換した際、市役所に残った理由は。  胃がん手術後の菅谷市長に頼まれ悩んだが、高潔な人柄、非常に深い人生観を持つ人と人生最終盤で一緒に仕事ができるならと決めた。筋が通らない選択と言われ、最初は苦しかった。  ―思い出は。  平成元~3年、財政課長で野球場、体育館、図書館建設に携わった。平成4年の第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)開催直前に十二指腸潰瘍で倒れて入院した。(平成の大合併の)合併協議が難しく、一番つらかったのは建設を断念した松本・四賀直結道路で、助役として住民とのあつれきの中、大変だった。未着手のお堀の復元が、23年12月の住民説明会を経て用地交渉に入った。  ―5人の市長を間近で見て。  降旗徳弥さんは「松本第一主義」で剛直、深沢松美さんは「福祉」で詩人、和合正治さんは「教育と福祉」、有賀正さんは「即断即決即実行、目配り気配り心配り」、菅谷昭さんは「まっとうな生き方」で行政運営に哲学を持ち込んだ。市政は揺り戻しながら確実に発展した。間近で見れたのは自分の成長の源。  ―長く市役所に勤めることができた理由は。  「人に尽くす」適性と周囲の支え。農業と山登りで気分転換し、相当な困難もどうにかなると思った。  ―今後の市政に望むことは。  芸術文化産業振興や美ケ原高原連絡道路の開設。この16年は若い職員にチャンスが与えられ、成長への機運が育ったので新市長にも「宝」である職員の能力を生かしてほしい。  ―退職後は。  農夫。自然の移ろいを感じて(農業を)やるのが楽しみ。酒飲み相手がいなくなるのがちょっと寂しい。

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