政治・経済

戦後の松本市長選 激闘の歴史

 3月8日告示、15日投開票の松本市長選挙は、明治40年の市制施行から数えて14人目の市長を選ぶ。戦後の公選市長としては8人目で、新人のみの選挙戦は昭和22年の第1回公選以来だ。現職が新人に敗れる選挙は4回あり、保守系市長と革新系市長が代わる代わる務めてきた時代もあった。戦後最多の新人5氏がすでに立候補の意思を表明している今選挙を前に、戦後市長選の歴史をひもとく。
 昭和22年の戦後初の市長選は、市助役を辞して立候補した革新系の筒井直久氏が三つどもえの争いを制した。26年は前回選にも出馬した自由党の医師・松岡文七郎氏が現職との一騎打ちに勝って雪辱し「昭和の大合併」を進めた。しかし、2期目の任期途中に病に倒れ、死去した。

 これを受けた32年の市長選では、逓信大臣を務めた自民党の降旗徳弥氏が元職の筒井氏を退けて初当選した。市役所新庁舎(現庁舎)の建設や県営松本空港の開港、内陸唯一の新産業都市指定などに尽力した。
 その降旗氏も4選を目指した44年の市長選で「市民に奉仕する民主市政確立」を掲げた革新系の元県議会議員・深沢松美氏との一騎打ちに敗れた。保育所の市営化などを進めた深沢氏は、48年の市長選で戦後初めて無投票再選を決めたが、健康上の理由で任期途中で辞任。51年の選挙は、深沢市政で助役を7年務めた和合正治氏が無投票当選した。
 夏、冬の全競技を県内で行う完全国体(やまびこ国体)の開催や松本駅前周辺整備などに関わった和合氏は保守層にも支持を広げて、4選を果たした。5選を目指した平成4年の市長選は、前回選で約2000票差だった元県議・有賀正氏との一騎打ちとなり、僅差で敗れた。「92年(1992年)の92票差」として語り草となっている。
 有賀氏は中央西土地区画整理事業や各地区への福祉ひろばの開設、まつもと市民芸術館の建設などを手掛けたが、4選を目指した平成16年の選挙で、元県衛生部長の医師・菅谷昭氏に9715票差で敗北した。平成の大合併などを経て現在4期目の菅谷氏は、3月の任期満了に伴い引退を表明している。
 令和初となる今市長選では、すでに名乗りを上げている5人に加えて、さらに立候補者が増える可能性があり、乱立の様相を呈している。