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野村克也さんの死悼む 松本地方の野球関係者

 プロ野球の南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)などで名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導くなど多くの人材を育てた野村克也(のむら・かつや)さんが11日、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。(読売)

 戦後初の三冠王に輝き、"名将"として知られる野村克也さん。松本地方でも野村さんの人柄や野球への情熱に触れた関係者らが別れを惜しんだ。
 30年ほど親交のある松本市新村の勝家永江さん(72)は「(訃報を知って)力が抜けた」。勝家さんの次男が中学生だった当時、野村さんが指導していた都内のチームと練習試合をしたときに知り合った。その後は平成29年に亡くなった野村さんの妻の沙知代さんを介して毎年リンゴを送ると礼状が届く間柄で、監督通算1500勝を祝う会に招待されるなど関係を深めた。
 "ぼやき"と言われた辛口コメントが印象的な野村さんだが、勝家さんは「穏やかでいつも笑顔だった」と振り返る。次男が野村さんに直接指導を受けた当時の様子などを鮮明に覚えていて「野村さんとの出会いは私の人生の宝物」と感謝した。
 松本市の中学生硬式野球チーム・松本シニアアストロズ総監督の下村幸雄さん(90)=松本市南浅間=は、野村さんと30年以上の付き合いがあり、指導者論議などにも花を咲かせた。「野球について『死ぬまで勉強』と言っていたことを思い出す。優しく、子供思いだった。残念でならない」と惜しんだ。
 日本リトルシニア中学硬式野球協会信越連盟の理事長などを務め、大会で一緒に試合を観戦するなどした末岡幹也さん(80)=松本市庄内2=は「中学生もプロも分け隔てなく、野球を見る目は真剣だった。野球人としての情熱は追い付けない」と悼んだ。
 野村さんは平成3年6月、松本市野球場のこけら落としとして開催された巨人-ヤクルト戦で、ヤクルトの監督として采配も振るった。

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