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市内最古・穂高神社のこま犬に解説の看板設置

吽形のこま犬の後ろに看板を設置した井口さん(左)と高松さん
 「安曇野市内最古のこま犬」として知られる穂高神社若宮社の一対が、設置から250年の節目を迎えたのを記念して、近所に住む奉献者の子孫・井口喜文さん(83)が解説の看板を設置した。先祖の思いやこま犬の特徴を多くの人に知ってもらい、末永く後世に伝えたいと、こま犬を研究している高松伸幸さん(51)=穂高有明=の協力で取り組んだ。
 若宮社のこま犬は江戸中期の明和6(1769)年の作で、建物の外に設置されている「参道狛犬」の中で、年代の分かるものとしては市内最古だ。穂高出身で木材や米穀を扱う江戸の豪商・井口郡有(飯嶋喜左衛門)が、神社の大遷宮に合わせて寄贈した。台座に「献主東都深川井口郡有」と刻まれている。  郡有は穂高組等々力町村(現・安曇野市穂高)の庄屋役・井口喜左衛門の次男で、12歳で江戸に出て苦労して働き、深川の近江屋(飯嶋家)の養子に入った。隅田川の暗礁の撤去や日光街道沿いの土手整備などの難工事を成功させて30万両(約300億円)余りの財を成した。江戸幕府の10代将軍・徳川家治から賛辞を受けるほど機知に富んだ人物として名を成したという。  喜文さんの先祖には明治31(1898)年に私塾・研成義塾を設立した井口喜源治もおり、井口家は代々、地域への貢献を大事にしてきた。  高松さんによると、当時の安曇野地域にはこま犬文化がなく、作れる人もいなかった。若宮社のこま犬は郡有が江戸で作って運ばせたとみられ、運搬中に破損するのを防ぐためか、前足の間の石が彫り抜かれずに残っている。高さと奥行きが75センチ、幅が40センチで、「阿形」と「吽形」でデザインを変えるなど凝った造りが特徴だ。高松さんは「文化財に指定されてもおかしくない」と力を込める。当初は大鳥居の前に設置されていたが、昭和15(1940)年に神社が国幣小社になった時に若宮社の前に移された。  解説の看板は社殿に向かって左側の吽形のこま犬の後ろに設置された。井口さんは「これを機に先祖の仕事や思いを大勢の人に知ってもらえたらうれしい」と話している。

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