連載・特集

2019.9.19みすず野

 近代俳句の創始者、正岡子規は学生時代、軽井沢から信州に入り善光寺を拝したあと、松本を経て木曽谷を抜ける徒歩の旅を行い、「かけはしの記」を残している。「山々は萌黄浅黄やほとゝぎす」「やさしくもあやめさきけり木曽の山」といった句を詠んだ。信州ゆかりの人である◆東京下町、根岸に残る子規庵は、ホテル街の地続きにひっそりたたずむ木造平屋の小さな家だった。訪ねたとき、愛用の机(複製)のほか、病臥する子規が眺めた庭にヘチマの棚がしつらえてあった。ここで子規は、脊椎カリエスの激痛にのたうち回りつつ、死ぬ直前まで書き続けた◆『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』。最後の『病牀六尺』は、体の自由を失った彼が、布団を敷いた畳1枚分のみが「我世界である」と開き直り、新聞「日本」に127回連載したもの。「しかし死ぬることも出来ねば殺してくれるものもない。一日の苦しみは夜に入ってやうやう減じ―」◆壮絶というほかないが、子規は最後まで生き切った。「写生」を貫き、文字どおり「生」を写し取って私たちに示した。明治35(1902)年のきょう、34年の生涯を閉じた。