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防空壕豊科の洋品店地下に 専門家注目20~30人収容

  安曇野市豊科の立石地区にある洋品店・高山商店の倉庫の地下に、太平洋戦争中に掘られた防空壕が残っている。石積みの壁で四方を囲んだ縦5・5㍍、横3・3㍍、高さ1・7㍍のかなり大きなしっかりした造りで、20~30人は収容できる。このほど調査した専門家は「そもそも残っている民間施設が少ない中で、こんなに大きくてしっかりしているのは珍しい」と注目している。

 この防空壕は戦況が悪化していた昭和19(1944)年ごろに店主の高山佳子さん(83)の父・利治さん(故人)が、隣の真々部区の石積み工事を手掛ける人に依頼して一緒に造った。当時の立石は道路沿いに店が立ち並ぶ商店街だった。地域の役員を務め、10組以上の仲人をこなすなどし、信頼の厚かった利治さんは、地域のみんなが入れる防空壕をと考えたみられる。
 高山さんは「戦時中で男手がなく、大勢で作業していた記憶がない。父と石屋さんの2人だけで造ったのではないか」と振り返る。利治さんはシベリア出兵(1918―22)に出征して体調を崩し、太平洋戦争には行かなかったため「役に立ちたいという思いだったかも」とも推察する。
 戦後に多くの防空壕が埋められた中、高山さん宅では漬物部屋や物置として活用してきた。防空壕の上に2回にわたって引き家をしたことで、地下室として利用できたことも残る要因となった。
 近現代の地域史に詳しい市豊科郷土博物館の原明芳館長は「防空壕は家族3、4人が入れるくらいの簡易的なものが多く、とても小さい。他に利用価値がなく、すぐ埋められてしまう。高山さんの防空壕はこの大きさ故に利用価値があったことが良かった」と話す。
 現在建っている物置を造る時に埋めようかという話も出たが、一生懸命作業する父の姿を覚えている高山さんは「どうしてもつぶせなかった」。コンクリートで補強したり屋根をしっかり張ったりして地下室として活用する方向で残した。
 県道に面した高山商店の店舗は昭和4年の建築で、今年で90年になる。間口が狭く奥行きが長い典型的な商家で、利治さんが高山さんの母・うつみさん(故人)と結婚した当時に建てた。かつてにぎわった商店街の面影はなくなり、高山さんも高齢になったが、両親が残したものを今も守り続けている。「防空壕も店も私の手ではどうしても壊せないし、捨てられない」と話している。