連載・特集

みすず野2019.7.9

 森鴎外が60年の生涯を終えたのは、大正11(1922)年のきょうなので、100年近く前の出来事だ。作家、陸軍軍医の二足のわらじを履き続け、両方で"頂点"を極めた。優秀で才能にあふれ、しかも器用な人だったのだろう。同じ文豪でも器用さにおいて漱石とは異なる◆鴎外は、明治天皇の崩御、乃木希典大将の殉死を受けて、『興津弥五右衛門の遺書』を一気に書き上げ、歴史小説に転じた。そして死ぬ3日前、遺書を口述筆記させ、その中で「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と言い残したことで知られる。鴎外の生地は石見国(島根県)津和野だが、晩年に至っても望郷意識はほとんどなかった◆二足のわらじを悔いたわけでもあるまい。では、なぜそんなことを言い残したのか。どんなにえらくなっても、名声を得ても、死を前にすると、それは無力であって、一個の人間として死ぬに過ぎない。そういうものだ、それでいい、と伝えたかったのではないか◆鴎外の墓は、東京・三鷹の禅林寺と津和野の両方に建てられ、中村不折の字で遺書のとおり、「森林太郎墓」と刻まれている。禅林寺には太宰治の墓もある。