連載・特集

2019.7.8みすず野

 年齢を重ねるにしたがって、特別どうということもない、ちょっとしたことに幸せを感じるようになった。感じられるようになった、の表現のほうが正しい。その多くは季節(身近な自然)と連動している◆最近では、ヤマバトのつがいが現れ、家のこんもり茂るコブシの木に巣をかけそうな様子、キジの美しい雄が、ひと鳴きして畑を横切る姿、カッコウが近くの電線にとまり、澄んだ声を響かせたと思って見上げたら、どこかへ飛んで行ったさまなどである◆エッセイスト・森下典子さんの『日日是好日』(新潮文庫)が原作の映画が昨年公開され、樹木希林さん(故人)らが出演していた。原作には「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」の副題がつき、15のしあわせがつづられている。「このままでよい、ということ」「雨の日は、雨を聴くこと」など、15のそれぞれの言葉(各章の題)がとてもいい◆お茶の「お」の字も知らないまま、無量寺(塩尻市)で毎年開かれる茶会に参加し、森下さんの言う「しあわせ」の感覚がわかってきた気がする。お茶でなくとも、日常に15ほどの幸せを見いだせばそれでいいのではないか。