地域の話題

飛州新道 三郷の建物跡に標柱

 安曇野市教育委員会はこのほど、江戸時代後期に信州と飛騨を結んだ「飛州新道」にあった建物跡を示すため、同市三郷小倉の2カ所に標柱を設置した。三郷小倉から大滝山、上高地を経て、飛騨へとつないだ交易の道を、後世に伝えることも目的だ。古地図などで場所が特定できる番所跡と問屋跡に標柱を立てた。

 標柱は高さ約1㍍で、それぞれ「飛州新道番所跡」「飛州新道(冬季)問屋跡」と記した。
 番所跡の標柱は、南小倉地区の北黒沢沿いにある林道を西に進むと、道端に立つ。少し平らになった林の中だ。『三郷村誌Ⅱ』村落誌編で、南小倉について執筆した降幡隆夫さん(80)=三郷小倉=によると、荷物を扱う問屋職が、新道を通過する荷を検査する場所だった。地元に残る古地図には、番所の絵が描かれている。古文書には、新道を使って運ばれた荷物が記され、例えば「木綿」などの記載がある。
 問屋跡の標柱は、南小倉地区の県道塩尻鍋割穂高線沿いに設けた。降幡さんによると、新道は雪深い冬季は通行者がいないため、問屋職を担当した人が番所から下りてきて、冬に住んでいる場所だった。
 市教委や降幡さんによると、天保6(1835)年に開通した飛州新道は当初、安曇野の米を飛騨側へ運ぶなどの役割が期待されたが、26年後の文久元(1861)年に閉鎖され、廃道となった。原因としては、雪の影響で半年は通行できないほか、自然条件が厳しく、維持管理が容易でなかったことも考えられるという。

連載・特集

もっと見る