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明治の水難女児に哀悼歌

 明治45(1912)年4月に安曇野市穂高を流れる烏川で女児4人が亡くなった水難事故を語り継ぐ哀悼歌ができた。地元に伝わる哀悼の詩に穂高の声楽家・長瀬博さん(88)が曲を付けた。「4人は思案に暮れけるがやがて手に手を取りあって渡りかけたるあわれさよ」。長瀬さんは20日、現場近くの水難の碑で営まれた追悼行事で献唱し、地元の子供たちを含む参列者が静かに聞きながら事故の記憶を胸に刻んだ。

 東穂高尋常高等小学校の女子児童5人が学校の遠足の帰りに、近道をしようと手をつないで烏川を渡ろうとして4人が流された。哀悼碑は事故発生から20年後の昭和7(1932)年に建立され、地元の宗徳寺が地元の本郷育成会と40年以上、追悼行事を続けている。
 哀悼歌の誕生のきっかけを与えたのは、長年供養に尽力し平成26年に77歳で亡くなった宗徳寺の前住職・寺口良英さんだ。生前、元穂高町長が作ったとされる水難事故の詩を友人の長瀬さんに見せ「曲を付けてほしい」と頼んでいた。
 今年の追悼行事には小学6年生約20人と保護者らが参加し、焼香した。長瀬さんは4拍子の歌いやすいメロディーの詩をフルートとチューバの伴奏で伸びやかに歌い、子供たちは静かに聞き入った。
 穂高南小学校6年生の白鳥彩月さん(11)は「近道をしなければ。1人生き残った女の子のことを思うと切ない気持ちになった」。長瀬さんは「亡くなった寺口さんも喜んでいるのではないか。記憶に残るいい詩が歌い継がれるようにCDに残したい」と話していた。

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