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碌山の手紙 新たに1通 穂高で公開

 安曇野市穂高出身の彫刻家・荻原碌山(本名・守衛、1879~1910)が記した書簡(手紙)1通が、新たに見つかった。海外で美術修業中の明治37(1904)年、パリから故郷の長兄に宛てた。米国時代に世話になった富豪・フェアチャイルド家への謝意が感じ取れる内容だ。日露戦争に対する初期の認識や交遊の一端も分かる。20日に碌山美術館(穂高)で始まる企画展で公開される。

 同美術館内で資料の整理中に発見された。『荻原守衛書簡集』には未収録で、書簡はこれで158通となった。
 碌山は34年、21歳でまず米国へ渡った。フェアチャイルド家に雇われ、住み込みで働き、主人や子供の世話をした。空き時間には美術学校に通えた。渡仏の資金を稼いだ碌山は、36年にパリへ旅立った。同家では使用人と雇用者の関係を超えた交流があった。碌山は織物を少し実家から取り寄せ、恩のある同家の夫人に贈った。夫人は気に入ったようで、服に仕立てるため、もう少しほしいと伝えてきた。
 今回の書簡によると、パリに渡った碌山は、追加分の代金を同家から受け取った。常に金欠だった碌山は、この金は一時拝借するが、織物は届けてほしいと長兄に告げた。書簡では「働き候上にて御返金申べく候」と書いたが、実家に送金をねだる現在の学生のようで、"人間くささ"が感じられる。碌山美術館の武井敏学芸員は「フェアチャイルド家では随分かわいがってもらった。お礼がしたいという率直な思いや、海外でお金に苦労したことも分かる」と語る。
 書簡を記したのは、日露戦争の勃発直後だ。碌山は後には、ロシアの文豪・トルストイの主張に共感し、非戦の思いを強くするが、当初は他の日本人と同様、祖国の快進撃を喜んだ。書簡では「大勝の様子 邦家の為め喜ぶべき事」とつづった。後半には「仮装舞踊会へ招かれ徹夜致し 明朝は六時半 学校に候」とある。美術を学びつつ、パリでの生活を満喫する様子が伝わってくる。