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平成交通 社名「平成」に込めた誇り

創業当初から事務所にかかる「平成交通」の看板と甕社長
 バス事業などを手掛ける平成交通(松本市内田)は、バス事業への新規参入にまだ高い障壁があった昭和50年代に創業を構想し、10年を掛けて平成4年に参入を果たした。社名には新時代にふさわしい事業を行っていくという思いがこもる。日本経済の長期低迷、規制緩和など平成に起きた苦境を乗り越えてきた。新元号が「令和」に決まり、創業者の甕進社長(71)は「平成の世でなくなっても新時代にふさわしい業界のパイオニアであり続けたい」と話す。
 昭和50年代は、事業免許を受けるのに、車庫の仕様から経理の管理態勢までこと細かな基準を満たす必要があり、運輸局に提出する書類は厚さ3センチほどになった。受理してもらうまでに6年、運輸局の聴聞会をクリアして免許を得るまでにさらに4年を要したという。  平成の時代には、平成10年に開催された長野オリンピック前後での県内経済の活況、大会のシャトルバス運行を担ったことが思い出に残る。当時はカーナビゲーションもまだ一般的ではなかった。現在はGPS(衛星利用測位システム)で会社にいながらすべてのバスの運行状況を把握できる。バス業界は技術の進歩で、平成の初めと終わりで、まったく異なる世界になった。  平成12年からのバス事業の規制緩和で、県内の事業者数は6倍に増えた。全国的にも過当競争が起きて安全対策が後回しになり、28年に発生した軽井沢スキーツアーバス事故の遠因にもなっていく。他社に先駆けて安全装備や乗務員教育に力を入れ、現在は県内の業界全体でその動きが高まってきている。  令和の時代になっても、「平成」の社名は継続する。甕社長は「振り返ると平成は産業全体で急激な変化が起きた時代だった。新時代は変化と発展のバランスが取れた時代になってほしい」と期待する。