連載・特集

2019.1.5みすず野

 3日に松本城であった新春祝賀式で藩主・戸田氏の家紋をあしらったピンバッジが希望者に配られた。引換券の配布が始まる1時間ほど前、黒門から延びた行列の最後尾を示す旗は二の丸御殿跡に立っていた◆その年の9月に明治と改元される慶応4(1868)年1月3日から4日間、京都の南で新政府軍と旧幕府軍が戦火を交え、両軍合わせて約400人の死者が出た(中公新書『鳥羽伏見の戦い』)。新政府は江戸に退いた徳川慶喜の追討を決め、東征軍が京をたつ。松本藩主・戸田光則の苦渋の選択のいきさつは旧藩士で組織された六星会の百年史に詳しい◆徳川恩顧の大名であり、藩内に佐幕論も根強い。領地を朝廷に返上して一同浪人となるか、主家の徳川と手を切って官軍となって働くか。東征軍が木曽福島に迫るなか、藩士を集めて開かれた評定の議論は夜半が近づいても決着しなかった◆光則の申し渡しで本山宿へ向かって出兵し、恭順の意を表す。瀬戸際の決断だった。もしも殿様が譜代大名の本分を守っていたらお城や松本の街はどうなっていただろうか。郷土の歴史に思いをはせながら新春の冷え込みが身にこたえた。