連載・特集

2018.10.12みすず野

 憲法学者に宮沢俊義という人がいて、戦後日本の憲法学界をリードした、と言われても、ほとんどの人がぴんと来ないだろうし、名前すら知らない人が多いにちがいない。宮沢の父高義は、南安曇郡高家村(現安曇野市)、母郁子は上伊那郡赤穂村(現駒ケ根市)の出身だ◆宮沢は「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉の弟子で、東京帝国大学の法学部教授を務めた。この宮沢の功績に光を当てたい、と元中学校長・高坂邦彦さん(安曇野市)が14日、松本市のキッセイ文化ホール会議室で、学習会を開く。少々難しそうだが、戦前の明治憲法と、現在の日本国憲法を考える機会にもなりそう◆高坂さんは『憲法学者 宮沢俊義教授の足跡』を冊子にまとめ、これに沿って話す。「宮沢を知らない人が、的外れな批判をしたり、暴言を吐いたりするのを見過ごすわけにはいかない」とし、宮沢の考えたこと、やったことを正確に伝えたいと言う◆昭和21(1946)年6月、貴族院議員に任命された宮沢は、憲法改正案(日本国憲法)に対する国会質問を展開した。これが宮沢の基本的な憲法解釈であって、戦後の学界に多大な影響を与えた。

連載・特集

もっと見る