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二宮金次郎の木像 作者は? 豊科南小に保管 情報募る

 安曇野市豊科郷土博物館友の会の戦時生活部会が、豊科南小学校の資料室に保管されていた「二宮金次郎」の木像にまつわる情報提供を呼び掛けている。終戦前年の昭和19(1944)年8月8日の日付と、「水谷原松 習作」と刻んだ文字が台座に読めるが、この木像が学校にある経緯や、作者がどういう人物なのかは分かっていない。戦時下の学校や子供たちの様子を伝える史料として、木像は部会が11~12月に同博物館で開く企画展に出展される予定だ。

 資料室を昨年末に整理した際、げたスケートなどとともに出てきた。同部会員で今年3月まで郷土博物館の館長だった百瀬新治さん(66)=堀金烏川=が「何も分からないまま廃棄されるのはあまりにも残念」と、自宅で預かっている。
 薪を背負い、書物を読みながら歩くおなじみの姿の木像は像高が70センチ余り。30センチ四方で高さ10センチほどの台座を含め、1本の丸太から彫りだしたとみられる。細部も丁寧に彫り込まれており、体に比べて小さ過ぎる顔のほほ笑みが印象的だ。
 旧豊科小と旧高家小が昭和42年に統合して豊科南小となり、44年に新校舎が完成した。校区内には水谷姓が多くあり、「原松」に関して何らかの手掛かりが寄せられることを期待している。
 金次郎像の全般について調べた百瀬さんによると、太平洋戦争も後半の18、19年ころ、小学校の銅像も金属供出の対象になった。児童が日の丸の小旗を振り、万歳をして見送ったと当時の新聞が伝えている。その後、銅像に代わって石像やコンクリート製像が置かれた学校も多かったといい、19年に現在の豊科田沢にあった上川手国民学校に石像が寄贈された記録も残る。
 この木像も同様の経緯で学校に寄せられたと推測できる。百瀬さんは「当時の様子や、どんな気持ちでこの像を見たかなど教えてほしい」と願い「遠い戦地や兵隊だけでなく、身近な学校や子供たちにも厳しい状況があった。(それを物語る史料が)安曇野にも残っていると伝えていきたい」と話している。
 情報提供は百瀬さん(電話090・3090・2578)へ。

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