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満蒙開拓の記憶伝えたい 91歳の土川さん、塩尻市平和祈念のつどいで講演へ

満蒙開拓の歩みを振り返り、当時の記録に目を通す土川さん
 太平洋戦争末期に楢川村(現塩尻市)から満州(現在の中国東北部)に入植した「蘭花楢川村開拓団」の一人、土川克広さん(91)=塩尻市奈良井=が12日、市の「平和祈念のつどい」に参加し、当時の経験を初めて公に講演する。国策の満蒙開拓で大陸へと渡り、敗戦後に命からがら母国に戻った開拓団の歩みを語ることで戦争を知らない世代に73年前の出来事を伝える。「恒久平和の願いを若い人たちに引き継いでもらう機会になれば」と話している。
 同開拓団は昭和19年3月~20年7月、約190人の村民を満州へ送り込んだ。戦況は悪化の一途をたどり、軍人軍属の家族は大陸から日本へと引き揚げていた時期にあたる。  旧制中学に通い勤労奉仕していた土川さんは卒業時期を待って20年2月に渡満した。両親や7人の弟妹は一足早く入植していた。楢川村はかねて漆の取引を通じて中国と良好な関係を築いていたため、現地でも住民と温厚な付き合いを重ねたという。  しかし8月10日、土川さんら団の青年にも召集がかかりハルピンの部隊に入隊した。戦況は伝えられなかったが「銃器はおろか軍服すら支給されない状況だった」。そのまま敗戦を迎え、一度はソ連兵に捕まるも逃げ出し、草の葉や木の根をかじりながら山中を1カ月さまようなどして九死に一生を得た。21年11月、帰国がかなった日を「生きて帰りたい一心で困難を乗り越えてきた。感無量だった」と振り返る。  同開拓団は中国の木蘭県や新甸村の助けもあり多くの団員が引き揚げできたが、孤児になった人や病死した人がいないわけではない。土川さんの末弟も引き揚げ途中に亡くなり、家族が火をたいて凍土を溶かし埋葬した。  戦後は団員の慰霊や日中友好活動に尽力してきたという。「決して忘れることのできない記憶。経験者だからこそ語れることを伝えたい」と話している。  つどいは12日午前10時から市保健福祉センターで開かれる。