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高ボッチに警察予備隊の演習場跡 昭和20年代に実弾射撃

実弾射撃が訓練された草競馬場の東から高ボッチ山頂を望む古谷さん。左奥の南東斜面に砲弾が撃ち込まれた

 塩尻市郊外の高ボッチ高原は戦後、警察予備隊の演習場として利用されていたことがある。まだ日本が連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあり情報統制が敷かれていたため、当時を知る人は少ないが、部隊への荷揚げに携わった古谷孝雄さん(83)=塩尻市片丘=は「山腹では実弾射撃訓練が行われていた」と振り返る。太平洋戦争や朝鮮戦争の歴史にも色濃く結びつく演習場を、今も鮮明に思い出す。

 演習場の設置は昭和26年5~10月ころ。当時の旧片丘村に警察予備隊松本部隊から高原の貸与依頼があり、人馬しか通れなかった現在の市道高ボッチ線崖の湯ルートは5トントラックが往来できる自動車道路に拡幅された。
 高校生だった古谷さんは荷揚げを担っていた父親を手伝い、期間中に10日ほど高原へ通ったという。部隊の食糧を馬に積んで登山し、時には台上で寝泊まりした。ただ一切は「他言できず写真も撮れなかった」と振り返る。
 名残があるのは、大沢の堤から崖の湯ルートを3キロほど上がった食糧倉庫跡だ。旧営林署の小屋を転用し、トラックで運搬した食糧はここで下ろされた。今でもやぶの中に礎石を確認できる。
 隊員の宿営は同ルートを上り切った突き当たりで炊事と宿泊のテントがあった。後に高ボッチ山荘が建てられた場所だが既に面影はない。世間の食事はまだ質素だった戦後、部隊には米、野菜、砂糖のほか天然氷とともに日本海のブリまで届き「とにかく食糧が豊富だった」。監視の米軍の小屋には「コーラという珍しい飲み物もある」と隊員から教えてもらったという。
 古谷さんによれば射撃訓練は草競馬場の東から高ボッチ山頂の南東斜面に向けて行われた。銃のほか朝鮮戦争で米軍が使用していた武器と同等のバズーカ砲などが用いられたという。諏訪盆地からは爆音や閃光が確認され、撤退後は辺りに実弾や薬きょうが散乱していた。
 地元の市誌や区誌に演習場の記載はないが『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』には射撃訓練によって一帯の自然が荒れ、村民の山仕事も危険となり、地元が補償を要求したが不調に終わった...の一文がある。古谷さんは「のどかな高原からは想像もつかない歴史。自分があの世に行く前に知ってもらいたい」と話している。