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明治の自転車事情撮った写真 松本市の河西宏和さん所有

写真の説明をする河西さん。「後世に記憶として残ってもらえれば」と願っている

 明治33(1900)年6月に松本地方の自転車愛好者で結成されたとみられる「友輌倶楽部」の発会式の様子を撮影した古い写真を、松本市深志2の河西宏和さん(82)が所有していることが82日までに、分かった。市文書館によると、右奥に写る石垣や裏に記された撮影日、「中学校運動場ニ於テ」の文言から、当時松本城二の丸にあった旧制松本中学校(現松本深志高校)で撮影されたとみられる。明治半ばの松本地方の人たちが自転車に親しんでいたことをうかがわせる貴重な一枚だ。

 写真は縦19・6メートル、横26・6メートルで板に貼られ「信州松本 杉浦製 冩真師」とある。裏面には撮影日や倶楽部メンバーの名字が記されている。
 そろいの服に身を包んだ男性23人が自転車を手に横一列に並んでいる。今もよく見かける空気入りタイヤの自転車だがハンドルにブレーキがなく、ペダルを逆にこいで止めるタイプだ。左隅に出席者の家族らしき子供が三輪車にまたがり、周りに聴衆が集まっている。
 自転車博物館サイクルセンター(大阪府堺市)の学芸員・長谷部雅幸さん(67)によると、当時の日本の自転車は米英からの輸入車全盛の時代で、日常用ではなく競技用が多かったという。米国製の価格は200~250円ほどで、小学校教員の初任給の20倍以上になる高級品だった。
 撮影された明治30年代は、遠乗りや競争を楽しむ「自転車倶楽部」が各地に発足し、地方でも自転車レースが開かれ始めた時期と重なる。長谷部さんは写っている人たちについて「自転車を購入できるだけの富裕層か(企業)スポンサーが付いた選手では」と推測し、そろいの服は「大会出場時のユニホーム」と見る。
 河西さんの祖父・武助さんがメンバーとして写真に納まっているが、河西さんは倶楽部について「祖父からは一度も聞いたことがない」といい、倶楽部の活動実態はよく分からない。写真は、河西さんが所有し、取り壊す予定の中山地区にある倉庫に長らく保管されていた。自転車を楽しんでいた一団が明治期に早くも松本にいたことを驚き「広く市民に知ってもらい、郷土の記憶として残れば」と願っている。