連載・特集

2018.6.20 みすず野

 かの太宰治は、芥川賞を欲しくてたまらず、川端康成に処女出版の『晩年』を送り、手紙をしたためて懇願した。「私に希望を与えてください」。川端は昭和11(1936)年当時、すでに芥川賞選考委員だった◆芥川賞、直木賞はこの前年に設けられた。文藝春秋社社長で、作家の菊池寛の思いつきで始まったが、太宰がそこまで芥川賞に執着していたということは、文壇の登竜門として早くも価値があったのだろう。結局、太宰は芥川賞をもらえず、パピナール中毒、強制入院、自殺未遂の方向に行ってしまった◆芥川賞は度々、社会を巻き込む話題を提供してきた。石原慎太郎さんの『太陽の季節』、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』が典型だが、平成になって以来、その社会に及ぼす影響力を失ったと言える。というか、文学自体が力をなくした◆太宰に話を戻すと、彼は昭和23(1948)年6月13日深夜、玉川上水に女と身を投げ、遺体は19日に見つかった。それから70年、昨日が桜桃忌であった。太宰の死顔は平静で、女のそれは両目をかっと見開いていた、との証言が残る。太宰は死後、引きずり込まれたのか。