2026.3.6 みすず野
2026/03/06
後で読む
あまり気を遣わない知り合いや親戚に、ちょっとした心遣いをするときに、木曽のそばを送るようになって10年ほどになる。ついでに自分用にも注文して、これ幸いとその風味と味を楽しむ。ずっと同じ店にお願いしている◆「このごろは、蕎麦の種類もずいぶんになった」が「種物ならやっぱり天ぷらが一番。それとも『天ざる』のほうがいいか」と随筆家の入江相政はいう(『そばと私』文春文庫)◆「箸ではさんで、高く持ち上げた蕎麦の裾のほうに、ほんのちょっとつゆをつけただけで、やらなくちゃあならない、などと言って通は素人をおどす」。けれどよくからかわれる。「そんな人はきまって『一度でいいから、たっぷりつゆをつけて食べたかった』と、くやみながら死んでいく」と◆そば通ではないから、臨終の時に「こんなことは口にしない」が、日曜には奥利根のそばを度々つゆなしで味わう。戦災で家を失い、疎開先の家族に会いに行ったその地方で育ったそばだ。都会で作ったつゆなどつけず「時にはそのまま舌に載せるほうが礼儀というもの」だからだと。こういう食べ方、味わい方こそ食通というのかもしれない。



