2025.11.28 みすず野
2025/11/28
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凍り餅は厳冬期に、花札より少し細長い大きさに切り、一つずつ古新聞で包んだと、松本市出身で霧ケ峰に山小屋を開き、エッセイストとしても活躍した手塚宗求さんは書いた(『山里の食物譜』恒文社)◆昭和20年代後半のこと。「当時は何を包むのにもすべて新聞紙が使われたのだが、新しい紙は貴重だったからである」という記述を読むと、なるほどと思う。それはしばらく続いたのだろう。家では作らなかったが、頂いた凍り餅はどれも新聞紙に包まれていた◆口に入れてもぱさぱさしてなじまないが、ゆっくりかんでいると淡泊な味がするといい、熱湯をかけて食べると軟らかい餅の味だと記した。塩気も甘味もないが、日本人だけが分かる味を持った食品でもあると◆「昔の田舎家は障子戸一枚だけで外気をさえぎっていた、と言ってよいほど寒さには無防備だった。主な暖房は囲炉裏と掘り炬燵だった」という記述に忘れていた冬のあれこれがよみがえる。囲炉裏はなかったが、その風景を覚えている最後の世代あたりだろうか。柿の実はてっぺんの一つを残して取り、軒下には干し柿のすだれができていた。もう霜月も終わる。



