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2025年

2025.11.22 みすず野

2025/11/22
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 聞度に泣ぬ人こそなかりけれあな尊とやな日本魂。中央の歌人・松波遊山が明治32(1899)年安曇野や松本に旅で訪れた時に詠んだ。命懸けで権力と戦った中萱村(現安曇野市三郷明盛)の農民の多田加助たちの話を聞き、涙をこぼしつつ作ったという◆騒動は江戸前期の貞享3(1686)年に起きた。多くの仲間のため加助が先頭に立ち、近隣より厳しかった松本藩の年貢の軽減を求めた。最終的に一揆を企てた中心人物たちとその兄弟・子供計28人が死罪に処された。仲間を思い、義を貫いた加助らの崇高な精神に胸が熱くなる。一人一人の命の重さはいつの時代も変わらない◆加助らが処刑されたのは貞享3年11月22日。現在の暦だと、年明け間もない一年で指折りに寒いころ。加助たちは厳寒に耐えつつ熱い怒りの炎を燃やしたのだろう◆冒頭の歌を刻む碑が安曇野市三郷明盛の貞享義民社境内に立つ。碑には自由民権家の松沢求策らを育てた木曽出身の漢学者・武居用拙が加助の功徳を著した漢文も載る。訓読だと「この碑を読みて加助の烈(激しい実行力でなし遂げたこと)を追想せば必ず涙を堕す者あらむ」と結ばれる。

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