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2025年

2025.11.6 みすず野

2025/11/06
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 詩人の石垣りんさんは、10月下旬の晴れた朝「御前埼灯台下の砂浜に立って、目いっぱい弓状に展けた海を見ていたら、ふと『寄る年波』という言葉が浮んで来て、なるほどなあ、と思った」と「火を止めるまで」と題したエッセーを書き始める(『朝のあかり』中公文庫)◆「ひとつの言葉にハタと手を打ち、これだったのか、と気がつくのも容易でない。波は遠くの方から幾重にもかさなり合いながら、こちらへこちらへと寄せて来た」と続く◆銀行を定年退職して5年。一人暮らしで「年齢的に来る所まで来たらしい、という感じと、まだまだピンとこない部分がある。その分若い気でいる」と続く。ガス風呂に点火後沸いたのを確かめ火を止める。「一瞬ほっとする」。湯が沸くまで生きていてよかったと思い、ほっとする思いの中に周囲へのわずかな連帯感があるのかもしれないと。「ホンワリ湯気の立つ思いが」◆巻末の初出一覧を見たら「晴れた朝」はこの仕事に就いた年の誕生日だとわかった。まだ寄せる波のなんたるかなど考えもしなかった頃。それが「来るところまで来たらしい」場所にいる。わずか3ページの作品がしみ通る。

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