2025.10.9 みすず野
2025/10/09
後で読む
誕生日がうれしくなくなったのはいくつの時からか。年齢を自覚できないところがあって、これまで生きてきた年月の数字を目の前にでんと据えられても、とまどうことの方が多い。毎年、ただおろおろする◆明治42(1909)年生まれの詩人・天野忠は66歳の誕生日、朝は忘れていたが、日記帳を開く段になってはっと思い出す。「おやおやもう六十五歳の敷居を越してしまったのかと、ガクゼンとした表情を六十六歳らしい顔の上に浮かべてみることにした」と書く(『老いの生き方』ちくま文庫)◆その年齢になり「私の六十六歳に実に不安的なのである。十七歳のときにそうであったように、五十歳のときにそうであったように。今もまじまじと不思議そうな眼付きで、私は自分の傍に自分の年齢を見つめている」と◆同書は老いをテーマにした18編を収める。編者の鶴見俊輔さんはこう記す。「私がまだしていない死ぬということを何十万年にもわたってなしとげた人として、祖先のすべてに脱帽する。その状態に達するまでにのこっているしばらくの時間の中で、老いてゆく準備をつづけたい」。準備運動をそろそろ始めないと。