2025.8.30 みすず野
2025/08/30
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県歌「信濃の国」の作詞者・浅井洌は、松本と信州新町を結んでいた犀川通船に乗った時の記録を残した。明治32(1899)年の夏休みの一こまで乗船時の様子を冊子「犀川を下る記」に書いた。同書は県立長野図書館蔵『信濃名勝詞林』に収録されている◆当時、洌は長野の県師範学校勤め。夏休みを郷里の松本で過ごし長野に戻る時に通船を利用した。巾上から乗り、見送りの親族を思い「遠からぬ道の別れと思へとも心は跡に残りぬるかな」と詠んだ。船は山清路(生坂村)を通りかかる。洌は「いとけしきすぐれたる所なり」と絶賛している。今も名勝で知られるが、当時から大勢を魅了していたのが伺える◆船下りは危険が伴っただろう。だが、洌は酒を飲む余裕があった。泳ぎが達者だったのだ。85歳の時、松本市営プールの開場式に招かれ「模範泳」を見事にした(弊紙連載「脚光」平成22年5月30日付)◆「信濃の国」発表は32年6月。「歴史にもしもはない」が発表前に山清路を眺めていたら。県歌の歌詞が変わっていた可能性もあったのではないか。生坂村民でなくとも、タイミングというものを思わずにいられない。