2025.8.22 みすず野
2025/08/22
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「昭和二十年は十八歳の私にとってあわただしい年でした」と、小説家の結城昌治さんは『俳句つれづれ草』(朝日新聞社)に書いた。海軍に志願したが、肺結核の疑いありと診断され、1週間で帰郷命令。帰宅した晩に空襲で家を焼かれて疎開、敗戦。ろくなことはなかった◆「しかし、焼け跡の空は不思議に明るかった印象です」と振り返る。奇異な感じを受けたのはNHKラジオで始まった「のど自慢素人演芸会」。日本人は羞恥心が強い民族だと思っていたので、大勢を前に一人で歌うなんて恥ずかしいことだと考えていたが、出演希望者が殺到した◆どうやら羞恥心より自己顕示欲が強いのが本当で「それは歌声喫茶を経てカラオケ全盛の現代につながっている気がします」という。40年ほど前に書かれた。当時「カラオケの進出がいい飲み屋を駆逐してしまった」という声があったのが懐かしい。今では「2次会はカラオケで」というのが一つの定番にもなっている◆結城さんは「私などはいまだに人前で歌う勇気がありませんが、小説なんてものを書くことこそ恥知らずかもしれません」と語る。新聞のコラムはどうなのだろう。