0000日(木)
2025年

2025.8.18 みすず野

2025/08/18
後で読む

 作詞家、作家として活躍した永六輔さんは、小諸市に学童疎開していた。敗戦後もしばらく信州暮らしが続く。都会では餓死者が出ていたが信州でも食べ物はない。イナゴ、ザザムシ、サナギを捕りアユを釣る。「おいしいというより、栄養のバランスで食べるだけだった。以後、僕は鮎を食べない」(『昭和』光文社文庫)◆連合国軍最高司令官としてやって来たダグラス・マッカーサーの仕事で、知られていないのが「ボランティア募集」だという。「日本でボランティアを。1万人の善意を日本へ運びたい」と呼びかけた。米国は当時のボランティア先進国で「リメンバー・パールハーバー」「ジャップ」の国へ多くの若者たちがやって来た◆「日本でボランティア史を書くなら、この時の記録を忘れてはならない」と指摘する。「敗戦でグッタリした日本。激戦地になった沖縄。五十四年たって、沖縄ではまだ戦後処理ができていない」。26年前に書かれた◆マッカーサーは帰国してから、日本人は「12歳」と発言した。それは「こうした不始末のことを言っているのだろうか」と問う。永さん戦後80年たってもまだくすぶっています。

関連記事

おでかけ

一覧を見る