みすず野2025.8.15
2025/08/15
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「昭和二十年八月十五日は、日本全国がほとんど快晴であった。(略)一部の人は数日前から日本の降伏を知っており、ラジオが早朝から『本日正午重大発表があります』と告げていたのを、終戦の知らせと予感していた」(『文学歳時記』巌谷大四著、TBSブリタニカ)◆詩人の金子光晴は昭和35(1960)年「終戦後、生きてきた十五年はどうも、余分なような気がする。面白みのない十五年だった。旧態を恢復する人たちにとってだけ、イミのあった人生のようだ」(『書くに値する毎日』集英社文庫)と書いた◆作家の小林信彦さんは平成12(2000)年に、50代の人たちが昭和13(1938)年から灯火管制があり太平洋戦争初期に米軍機の空襲があったと驚く時代。「それらの一つ一つを記憶するぼくは、改めて記録しておかねば」(『出あいがしらのハッピー・デイズ』文藝春秋)と記した◆『昭和史』(平凡社)を著した半藤一利さんは昭和史から学ぶべき五つの教訓を挙げ、先頭に「国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命」を置く。戦後80年、きょうはあの日の地続きにある。
