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2025年

2025.8.11 みすず野

2025/08/11
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 哲学者の鶴見俊輔さんは、16歳だった昭和13(1938)年、米国の小さな町の学校で学んでいた。やがてハーバード大学に進むが、3年目に太平洋戦争が始まる。17年に、戦争が起きた時、その国に住んでいた相手の国の人々を、互いに同じ数、もとの国に戻す交換船に乗る。「日本が戦争に負ける時、負ける国にいたい」という思いからだった◆海軍に志願して南方へ行くが胸部カリエスにかかり、19年12月に帰国する。やがて敗戦。「わたしは、アメリカにいた時、外人でした。戦争中の日本に戻ると、日本人を外人と感じて毎日すごしました」(『旅と移動』河出文庫)◆「今は、わたしは外人ではないのか、自分の底に向かっておりてゆくと、今もわたしは外人です。地球上のさまざまな外人にとりまかれている、日本人の中の外人です」と語る◆最近、外国人などに対する排他的な空気が指摘される。鶴見さんはいう。「地球上の人間全体の中で、日本人にとっては、外人のほうが多い。日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わたしたちは地球上に住みにくくなります」と。

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