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2025年

2025.7.22 みすず野

2025/07/22
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 好きな季節は、子どもの頃からずっと夏だった。長い夏休みがなくなってからも変わらず、帽子がなくては出歩けないような強い日差しも、絵日記に描いたような入道雲も、夏を楽しませてくれた。それがあまりの暑さに耐えられなくなったのはいつからだろう◆「炎帝」は夏の季語。「中国古代の伝説で、火をつかさどる王、転じて夏をつかさどる神を『炎帝』ととなえたことに由来する」(『きまぐれ歳時記』江國滋著、朝日新聞社)という◆夏の季語ではあるが、初夏をこう呼ぶのは違和感がありすぎるといい「やっぱり七月下旬あたりの、炎熱耐えがたい一週間かせいぜい十日間ぐらいが、字面といい、語感といい、『炎帝』にふさわしい」と◆きょうは二十四節気の大暑。梅雨が明け、真夏の日々が続く。「夏は大嫌いだが、『炎帝』という言葉には何か惹かれるものが」あると書かれたのは平成元(1989)年。当時からは考えられないような夏になった。熱中症という言葉もなかった。炎帝がふさわしいのは10日間程度で収まりそうもなく、8月いっぱいか。夏は自らの体を守るために、暑さ対策を考える季節になってしまった。

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