0000日(木)
2025年

2025.7.10 みすず野

2025/07/10
後で読む

 植えた覚えのない桑の木が畑の土手で枝を広げ、始末に負えなくなってきたので枝を切り詰めた。よく見ると黒っぽい紫色をした実を付けた枝がある。作業を始める前にいくつか口に入れた。子どもの頃からなじんだあの味だった◆正岡子規は明治24(1891)年の夏、木曽を旅行した。この旅で子規は桑の実を見つけ食べ始める。その味は他に比べるものもないほど「よい味」で、一粒の昼飯も食べずにむさぼり、木曽の桑の実は、寝覚の里の名物のそばよりうまい名物だと紀行や回想に記したと俳人の柴田宵曲は説く(『随筆集団扇の画』岩波文庫)◆その3年後、高浜虚子が同じ季節に木曽路を歩く。子規はその姿を想像して「あら恋し木曽の桑の実くふ君は」と詠み、「ありきながら桑の実くらふ木曽路かな」の句を作った。宵曲は「往年の事を念頭に浮べ、現在木曽路を歩きつつあるが如き一句としたのであろう」という◆桑の実は「マルベリー」と呼ぶそうだ。夢中になって食べていると手が紫色に。子どもの頃、その手で衣服に触れると色が落ちなくなると何度も言われた。忘れているがそれだけ何度も食べ何度も汚したのだ。

関連記事