25.小林有也

天守の修理保存に尽力


 旧制松本中学校の校長を長いこと務め、松本城天守の修理保存活動に尽力した小林有也は、安政2(1855)年6月1日、和泉国(いずみのくに)伯太(は かた)藩(大阪府)の重臣の家に長男(幼名は卯之助)として生まれた。江戸藩邸に生まれたので、13歳まで江戸で過ごした。
 慶応3(1867)年、有也が12歳のとき、母すずが39歳で亡くなり、翌明治元(1868)年8月、祖母と継母が同じ日に亡くなった。父の極馬は伯太 藩にいて間に合わないので、親戚の協力を得て、有也自ら葬儀を取り仕切った。その年、90余歳の伯母、16歳の姉、11歳の妹、8歳と5歳の弟を連れて和 泉に帰った。箱根を越えるときには、右手に常に刀を握り、伯母と姉の輿(こし)の側(そば)を離れなかったという。
 明治3年に、有也は伯太藩で1人だけ貢進生(明治新政府が各藩に求めて学問を志す人を差し出させ、学費も政府が負担した)に選ばれて上京し 大学南校 (全寮制)に入った。この制度は翌年に廃止され、食うや食わずの苦労を経ても、有也は学問から離れることはなかった。
 10年4月に帝国大学(現東京大学)が設立されると、有也は理学部仏語物理学科に進学、13年7月に卒業した。翌年5月から農商務省工務局調査課兼統計 課に勤め、17年7月に農商務省を辞めた。
 明治17年7月、29歳の有也は長野県中学校教則取調委員となり、9月に長野県中学校長兼一等教諭となった。中学教育を担当する人材を求めていた長野県 が、有也を抜擢(ばってき)したのである。長野県中学校は、長野に本校があり、松本・上田・飯田に支校があった。
 19年9月、中学校は長野県尋常中学校と改称され、本校が松本町に移転したので、有也も松本町に移った。その後29年間、松本中学校長を務めた。生徒に 対しては特に倫理的・修身的な話をするわけではなく、長期休暇に入る前には「おなかを壊すな」「身体を大切にしろ」「妙齢のご婦人方とのカルタで夜更かし などしないように」といった平凡な日常生活に関わる訓話が多かった。個々の生徒と直接話す機会は少なかったが、生徒のあいさつに対しては生徒より深く頭を 下げて返礼した。
 有也校長の教育方針の一つとして生徒の自主性を認めたことは、当時としてはほかに類例がなかった。「なんせ、皆さんが、しっかりやってくんなさらんけれ ば、困るんであります」と校長の訓示で繰り返した。生徒を全く対等の人間として扱い、自分のことは自分でやることを生徒に求めたのである。
 非常におとなしい人で、小柄でどちらかといえば風采が上がらなかったといい、飾り気もなく、服装も極めて質素だった。あるとき新聞記者が初めて中学へ 行って、事務室にいた有也に「校長にお目にかかりたいが校長室はどこですか」と聞いた。有也は「校長室は別にないが、私が校長です」と答えたという。
 有也は、とりわけ野球が好きであった。勝ちさえすればいいと考えやすい生徒に向かって、一生懸命やれ、死ぬまで頑張れ、と選手を激励していた。生徒の試 合はもとより練習までじっと見物していたという。
 有也が松本城修築に乗り出す契機は、松本中学の運動場が松本城本丸内となったことである。松本町はここを公園に造成する計画だったので、代案として有也 は堀の埋め立てを県に打診した。県は予算がないと却下し、明治33年1月、県会は城内庭園を運動場にすると決めた。
 明治34年8月に「松本天守閣保存会」が発足、仮事務所が松本中学校内に置かれた。36年に始まった修理に当たっては、有也は小里頼永松本町長らととも に理事に就任し、寄金の募集に尽力しただけでなく、工事現場にも出入りするなど積極的に活動した。
 「その修繕工事の始めのときである。県から来た技師がいろいろの設計をしたが、先生は一言の下にこれを否定してしまった。自ら堅い腹案があってその沈着 な緻密な脳裡(のうり)には、もう天守閣の工事は巨となく細となく書かれていたのである」と、松本尋常高等小学校長の三村寿八郎が書いている。
 この修理・保存工事は日露戦争で一時中断したが、大正2(1913)年、有也が亡くなる10カ月前に完成した。
 有也は、大正3年6月9日、校長在職のまま59歳で世を去った。死に臨み、生徒たちに次の3カ条の遺訓を贈った。「諸子はあくまで精神的に勉強せよ。而 (しか)して大に身体の強健を計れ。決して現代の悪風潮に染み堕落するが如(ごと)き事あるべからず」。翌日、講堂で全校生徒にこの遺訓が伝えられたと き、嗚咽(おえつ)の声が響きわたったという。
 10日の夜、木沢の火葬場で荼毘(だび)に付された。28日まで、生徒の希望により、全校生徒が交代で30分から1時間ぐらいずつ、教員2人とともに霊 前に夜を通した。6月28日、松本城天守下の中学校運動場での葬儀は、会葬者3000人、松本市空前の盛葬であった。
(松本市文書館館長=松本市)
隔週日曜日掲載