55.旧松電西松本変電所    松本市(大正13年ころ建設)
松本の鉄道 陰で支える

 アルピコ交通(松本電気鉄道)の前身となる筑摩鉄道は大正11(1922)年、松本市の松本駅から西、島々駅までの島々線(後に上高地線)を全線開通さ せた。筑摩電気鉄道と社名を改め、13年にはさらに松本駅から東の浅間温泉に通じる浅間線でも営業を始めた。変電所はそのころ、二つの路線により効率的に 送電するために、起点となる松本駅に近い西松本駅の南に開設された。
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 建物は、上高地線の最初の停車駅、西松本駅の南の一段下がった場所にある。建築面積は80平方メートルほど。古びているがどっしりとした2階建てで、明 るいベージュ色のモルタル風の外壁と、エンジ色の金属製の屋根が目を引く。外壁の所々にはれんがも使われている。
 当時の電車は、直流仕様が一般的だった。そこで鉄道会社は、電力会社から買った交流の電気を直流に置き換えて使った。二つの路線の電気は、筑摩鉄道創業 者で、上高地線の新村駅近くの上条信(1884〜1950)が大正5(1916)年に設立し、松本市の西部や山形、朝日、洗馬までに配電した東筑電気が融 通したとみられる。東筑電気に自社の発電所はなく、中房川などで発電していた安曇電気から購入したようだ。
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 アルピコ交通の久保沢秀明鉄道事業部長は、西松本変電所の詳しいことは分からないとしながらも「昭和32(1958)年に新設した新村変電所に機能を移 転させるまで稼働した」という。建物はその後、内部をバスガイドの寮やバス運転手の宿泊所に改修し、30年以上使った。現在は倉庫だが、南の入り口には今 も、「松本電鉄男子宿泊所」の表札がかかっている。
 『上高地線の80年│15キロの鉄路に秘められた80年のドラマ』の6人の執筆者の1人で、上高地線の歴史にも詳しい地域交通史研究家の石川欣一さん (79)=松本市浅間温泉3=によると、筑摩鉄道創業当時、変電所は新村駅近くにあったが、浅間線の開業に伴い西松本変電所を新設、2路線を1カ所で管轄 した。「変電所の勤務は2人ずつの2交代制。職員は6人程度はいたと考えられる」という。毎日、運転開始の前後に、機器の電源を切り替える主要業務のほか に、図面やダイヤ表など、社内の文書を感光紙に焼き付ける複写係も担当した。
 当初の役割を終えて半世紀ほどがたち、近隣住民でもここがかつて変電所だったことを知る人が少なくなっている。石川さんは「土地の有効利用を考えれば取 り壊されていてもいい建物だが、よく残ってきた」と話していた。

 上条信 上条家は、江戸時代から県内屈指の資産家で知られた。大正 2(1913)年、29歳で新村村長になり、8年には県会議員に最年少で初当選。昭和2(1927)年まで4回当選した。県議時代は県営の野球場や競技場 の松本への誘致に努め、同時期に電灯、電車、バス、新聞など複数の事業も手がけ地域づくりに尽力した。