安曇野を歩く
 94・ 日蔭茶屋事件 
 そのころ大杉は、原稿も書こうとしないし、売れもしな かった。とびこんできた野枝との浪費生活を支えるために、市子は金借りに狂奔した。金のできたことを告げれば、大杉はいそいそとやって来るからであった。 (中略)
 もはや大杉にとって市子は必要としなかった。大杉と野枝は終日自動車を乗りまわし遊びくらして、あくる朝、野枝だけ東京へ帰った。その夜、大杉は市子の 短刀で左頸部(けいぶ)を刺されたが、一命はとりとめた。市子は自首して出て捕えられた。
 (『安曇野』第三部 その十)

「青 春終わり」大杉刺す

 大杉栄をめぐる妻の保子(やすこ)、神近市子(かみちかいちこ)、伊藤野枝(のえ)の3人の関係が長く続くはずはなかった。
 当初、市子は大杉の「それぞれが経済的に独立し、別居しながら恋愛する」という考えに共鳴し、思想(革命論)にもひかれたが、大杉、野枝とも自立の力が ないことを知って軽蔑(けいべつ)を感じ、革命論にも疑念を覚えるようになる。
 記者として自立していた市子はそれまで、大杉の窮乏を見かねて金を渡していた。プライドの高い大杉は不本意だったはずだが、背に腹はかえられなかった。
 新雑誌発行の保証金として300円を得た大杉は執筆を名目に、逗子(ずし)に近い葉山(現・神奈川県葉山町)に出かける。市子は1人で行くのかと問いた だし、大杉は「もちろん1人だ」と約束する。だが実際は野枝を連れて行った。
 それを知った市子は「カーッとして、思わず短刀をとり出し」話をつけるべく葉山に急行した。短刀は神田の刀剣店で購入してあった。
 大杉と野枝が滞在する「日蔭(ひかげ)茶屋」に着いた市子が、女中から案内された部屋で見たのは、湯上がりの浴衣でたばこをふかしてくつろぐ大杉と、や はり風呂から上がり、肌脱ぎになって鏡台の前で化粧する野枝の姿だった。市子の登場に大杉はぎょろ目をいっそう見開き、野枝は露骨に嫌な顔をして化粧を続 けた。
 「あたし、帰る」。野枝は支度を済ませると、さっさと茶屋を後にする。しばらくたって女中から「電話が入っています」と呼ばれた大杉は、「伊藤が東京の 部屋のかぎを忘れたと言うんで、逗子の駅まで届けてくる」と言って出て行った。
 日が暮れた。帰って来た大杉が「君の話はわかっているよ。金だろう、金なら返すよ、金さえ返せばいいんだろう」と言ったことに、市子は心底怒りを覚え、 同時に敗北感に打ちのめされる。「あなたは、私にほかに言うことがあるはずです」「我慢がならないなら、好きにするさ。何もいうことはないよ」…。
 夜が更けてゆく。市子は朝になって1人とぼとぼ帰る自分に耐えられなかった。いまなら刺せる。
 寝たふりをする大杉の首に市子は短刀を振り、大杉は「ワーッ!」と大声を上げた。市子が部屋を飛び出すと、大杉は首を押さえながら追いかけたが、意識を 失って倒れた。重傷だった。
 市子は海岸に走り出て短刀を海に投げ、入水自殺しようとしたものの死ねず、ずぶ濡(ぬ)れの着物姿で交番に自首した。彼女はのちに「復讐(ふくしゅう) はすんだのだ。これからは自分の行為に対して、償いをすればいい。われながら意外なほど、平静な心境だった」と振り返っている。(『神近市子自伝 わが愛 わが闘い』)
 これが大正5(1916)年11月8日夜から9日未明にかけて起き、世を騒がせた「日蔭茶屋事件」である。
 大杉栄の身勝手さとノー天気が招いた結末と言える。野枝は「たとえ大杉さんに幾人の愛人が同時にあろうとも、私は私だけの物を与えて、ほしいものだけの ものをとり得て」と記しており、身を引く気は全くなかった。(『伊藤野枝全集(下)』)
 市子と野枝は「恋のライバル」となる前、実は平塚らいてうの家で会っている。らいてうは自ら創刊した『青鞜(せいとう)』が、後継者の野枝と、同人でも あった市子が起こす事件で幕が引かれることになるとは、思ってもいなかったろう。
 「日蔭茶屋事件が、好むと好まざるとにかかわらず、わたくしたちの『青鞜』の挽歌であった」とつづり、「わたくし自身の青春の終り」でもあったと回顧し ている。

文と写真/赤羽 康男